心の置き場所
今年も気ままにライブに行ったり、時々旅行、時々山登り、時々ランニング、仕事もほどほどに頑張ってきて、今年も残り3ヶ月を切ったわけです。

最近「心の置き場所」という言葉が気になっていて、心の拠り所は生き甲斐とか心の支えということだと思うけど、それとはちょっと違う意味の気がします。
無心になれる事や場所、心が安まる人や場所ということなのかな、今後生きていく上で重要なテーマになりそうです。

趣味に費やしている時間なども「心の置き場所」なるはずなんだろうけど、今自分はそうでもないかもしれない。
例えばツイッター、音楽の情報を得るためと、好きなライブをより楽しめたらと思って始めて、半分は目的を果たしているけど、反面半分は逆効果になっている気がする。
最近思うことは、なんて多くの人は同じ行動で同じノリなんだろうって。
ライブのチケット取れた、はずれた。→良席だった、そうじゃなかった。→ライブ当日は、会場に着いた。グッズはどんなだ。開場後は自分の位置取り。→ライブ後は、アーティストの衣裳や髪型、仕草や発言について。→その後は打ち上げ。これらがワンセットかというほど、同様のツイート。
当初は楽しまなかったわけじゃないけど、お約束通りの流れで、共感のコメントもたいがい似ている、反対の意見なんてあり得ない状態がだんだん気持ち悪くなってきた。

ライブに行くという行為は一見アクティブそうに思えるけど、実は受け身の行為だと思うんです。
ましてや他人がライブに行って興奮しているツイートにコメントすることでアクティブな気分のお裾分けをもらえるけど、自分は全く何もしていない、ただ見ているだけだもの。
いいライブを観れば高揚感を味わえて、爽快感もあってくせになる。
もっともっと行きたいと思うんですよね。果てしない。
もうそろそろ修了証書もらってもいいかな。

これからは「心の置き場所」的に音楽を楽しみたい。

身の回りの「心の置き場所」も充実させたいと考えていて、うちの中庭、ガレージを含めたエクステリアを整えたい。

水槽のメダカたちもこれが結構「心の置き場所」になっているのだ。
最近もらったトサキンも、おしり振り振りかわいい泳ぎを見ているだけで心が安まるの。ペットの効果ってほんと大きいなぁ。

ふと、いろいろ思ったことを久々に書いてみました。



コメント

はにゃ。
2014年10月8日12:08

何か分かる気がする。
最近ライブにあまり行ってません。ライブから得られるものとは何か違うものが欲しいのかもと思う。

きよ
2014年11月3日10:36

今頃、スミマセン。
ライブから得られるものは確かにあって、日常にはない興奮やあこがれみたいなものも大きくて、行って良かったなと思えることがほとんどなのですが。
迷いが生じているもの事実です。
ちょっと違った方向に行ってみるものいい頃なのかもしれませんね。